例えば人を好きになる時、疑いなく、そして躊躇い無く「好き」という言葉を使っています。でも、実際に心から出る「好き」には言葉にすることができない想いがあると感じています。音楽を聴いて好きになる時、食べ物を食べて好きになる時なども同じです。
「好き」の逆は言葉的には「嫌い」ですが、躊躇い無く、判断すること無く好きという言葉が出た瞬間、その言葉は二元性の枠を超えて「嫌い」という意味は含まれていません。
例えば、「信じる」という言葉があります。もちろん躊躇い無い場合はそんなことはないと思いますが、「信じる」には「疑う」がたいていの場合伴います。現実化のワークやリモートビューイングのワークで言葉を使いますが、信じるではなく、「知る(Knowing)」を使うことがキーになります。「知る」は私たちの存在を象徴している言葉ですね。
物事を個人的に判断や分析しない状態での「好き」には心からのメッセージがあると感じます。
「あいのり」の話になりますが、一昨日、ヒデが告白した女性のアヤは
「気持ちを言葉にするのって私はそんなに重要な事じゃないんだと思う。自分の気持ちの大きさなんて自分にしか分からないし、自分の本能がその人を選ぶんだと思う。」
ということを言いました。まさに「好き」はこのことだと感じます。
本能、つまりは「魂」「心」が説明無く、理由なく惹かれることを「知っている」状態が「好き」の本質じゃないかなって。
頭で分析したり、人の話や情報をそのまま聞いて判断した「好き」「嫌い」は個人的な判断に過ぎないと感じます。言葉にするのは難いけど、あいのりのアヤの言葉には判断の無い「好き」を上手に表現していてぐっとくるものがありました。
あいのりって結構深いなぁって思いました。
アイルランド後のENJOY NOWは冴えまくってるね。そのとおりだね。言葉ほどあいまいなものはないよね。うちで飼ってる犬(ナッツ)の「無条件のスキ」を浴びてると、なんでボクらはこう素直に「好き」を表現できないんだろうってつくづく考えさせられるよ。前に桃井かおりがテレビで言ってたけど「人間にもしっぽが付いてたらいいのにね。そしたら嫌いといいつつしっぽ振ってたりしてね((笑)。」さすがだね、ネエさんと思いました。
ということで、無条件の愛を差し上げます。メリークリスマス
ウスシックスver∞ よ、コメントありがとう。体験や本質から出てくる言葉って言葉ではなかなか表すことができないんだよね。しいて好きの気持ちを表すなら「愛おしい」って感じになるかなぁって想う。桃井かおりはネエさんって感じだよねぇ。本当に。
ちなみに、新しいウスシックスバージョンにもあるじゃないか。無条件の愛だと、条件を認めることになる。これからは「無限の愛」だ、ウスシックスよ(^_^)ホッホッホ~、メリークリスマス!