「何かを得るには何かをしなければならない」
もちろん全ての人には当てはまらないかもしれませんが、
小さい頃から私たちの多くはこのようなルールを作り上げて受け取ることをしてきたでしょう。
「親に褒められるためにはこうしなければならない」とか、
「学校のテストで良い点を取るためにはこうしなければならない」等・・・
欲しいもの=何かをしなければならない、という暗黙のルールから無意識の反応があると、本当に心から望むものが簡単に手に入ると分かっている部分がなかなか表に出てきません。もし本当に心から望むものが目の前にあったとしても、気付かないことすらあります。それを手に入れる事は体にとってはいつもとは違う人生を体験してしまうことになる、つまり様々な関係性が崩壊してしまうんじゃないかと思ったり、命が危ないのではないかと思ったり、危険に思ってしまうんですね。
少しづつで構いませんので、今までやりたくてもいろんな言い訳を使ってやってこなかったことを始める事がキーです。あの人がこう言うからとか、そんなの私には向いていない、とかのエゴのお喋りは脇に置いて。本当に自分が欲しているものは努力なしで手に入ります。必要なのは少しの勇気と決意です。能力ではありません。
いつも楽しみに読んでいます。
さて、本当ですか? 欲しいものが努力なしに手に入るなんて…。能力じゃないというのは、わかる気がするけれど。
どうして、そんな風にスムーズに流れる人生にならないのだろう…と思ってしまいます。
富さん、こんにちは(*^。^*)
ときどきブログ拝見しています。
欲しいものは、努力した結果手に入れることが出来ると思い、日々方法を考えていました。
富さんのコメントに、ちょっと驚いています。
もっと、具体的な心のあり方を教えてほしいです!
こんばんは。
この記事を読んで、これやらずにもし死んじゃったら悔いが残るだろうなぁ…と最近よく考えてたことを早速昨日やりだしてみました☆
自分が何を望んでるのかイマイチはっきり見えないので、これをヒント・キッカケに色々やってみたいと思います。
はじめまして。。いつも楽しく拝見してます。
私も欲しいものは努力しなくてもいつか手に入るとおもっています。
でも時々、欲しいものを手に入れたらかわりに何かを失っている人もいたりして、そのメカニズムってナニが影響しているのかな???って思ったりします。 よくいう正負の法則ってやつなのでしょうか? それとも葛藤や無理かなり大きいと結果それを受け取る・・・ということになるのでしょうか。
目に見えるの事象は過去なのだと、5年かけてやっと分かってきた気がします。このブログを読み進めるとアタマの中が整理されていき、とても癒されます。
>チェリーさん
コメントありがとうございます。はい。ほしいものを得るために、なりたいものになるために、私達はここにきていて人間という物理的な体験をしています。
しかし、鵜呑みにしてしまう情報や思い込み、先入観、恐れなど肉体側にある葛藤が原因でほしいものに歪みが生じてしまいます。それが主なスムーズにならない要因の一つだと感じています。
>コナンさん
コメントありがとうございます。ブログをご覧いただきありがとうございます。
具体的な心のあり方ですが、「自分や他人を裁かない、判断しないこと」「全ての人を認めること」等人生においてスムーズに現実化を起こすために大切なキーがありますが、結局は「リラックスすること」に尽きると思います。
現実化がなかなかスムーズに起こらない場合は、心が一杯になっていたり、なかなか手に入らないという状態自体にフォーカスがあたってしまっていることがよくあります。自分の中のスペースに現実化はやってきます。今のところはこの世界には時間が存在するので、現実化には多かれ少なかれ時間は掛かります。
> 和尚さん
コメントありがとうございます。そうですね。自分が興味を持っていたりワクワクしているものの中に「心の望み」に繋がるヒントが隠されています。是非いろいろと実践してみてください。そうすることで実践から「存在」になります。
>フラワーさん
コメントありがとうございます。確かに現実化させたい状況によっては、全ての関係性が変わってしまう可能性があります。現実化は自分の中(心)のスペースに起こります。体はその事を知っています。欲しいものを得ると自分が何かを失ったり変わってしまうんじゃないかっていう思いが背後にあると、現実化は先延ばしになるか、恐れのフィルターを通した現実が起こります。なので、本当にほしいものを得るためには決意や勇気が必要と感じられるかもしれません。葛藤を手放せば手放すほど現実化は簡単に起こり始めます。
>かなさん
コメントありがとうございます。鋭い洞察ですね。確かに目に見えていて、私達が意味を与えているものは実は全て過去に与えられたり、鵜呑みにしている情報なんですよね。それに気付く事が「正しくある必要性」という大きなバリアをリリースするキーですね。
いつも楽しく拝見しています。本当に書かれている通りですよね~。私が今手にしているものは全て努力することなく得たものです。逆に努力の末に手にしたものは時を経るとこぼれ落ちるようにすり抜けて何処かに行ってしまったような気さえします。
> 三浦みるさん
コメントありがとうございます。ブログもお読みいただきありがとうございます。
結局、努力するということの裏にあるのは「やりたくないけどやらなければならない」とか「これを達成して誰かの期待に応えたい」等の本来の自分の姿というよりは、葛藤や他人の期待が関わっているように感じます。その意味でも、努力したものの中にある葛藤がリリースされると、何処かに行ってしまうことになりますよね。もちろん、そこには後悔は無くて、「心からやりたいことをやってもいいんだ」という確信が得られるように感じています。