私たちは長年に渡って、それは今のタイムラインだけではなくて、他のタイムラインを含めて、様々な情報をインプットしています。他のタイムラインを含めなくても、今の人生を振り返っても、場面場面で本当に様々な体験がありますよね。
環境、人間関係、自分自身の年齢など、様々な関係性の中で、五感や感情、言葉では説明ができないようなフィーリング等、たくさんの情報を私たちは保存しています。それは、意識的であっても、無意識的であっても。
そして、記憶というのは曖昧で、「こうであったらよいのに」というものや見たくないものを見ないようにするために改竄されてしまっていることも多いものです。葛藤がブラインドを作るんですね。
忘れてしまった記憶を夢の中で体験したり、瞑想の中で思い出したり、私たちは再び本当の自分のデータを思い出していきます。よく死ぬ瞬間に走馬灯のように記憶が蘇るといいますが、確かにそうですね。そして、その瞬間に自分自身を思い出して、「あっ、そういうことだったのか」「まだ答えを得ていないじゃないか」なんて想い、再びこの世界を体験したくなります。
実は、私たち自身が求めている答え、それは音とも表現できるかもしれませんが、今までの体験の中に存在していました。その答えを知るためには、
この世界を意識的に生きるしかありません。
トミさん、あけましておめでとうございます。
昨年はお会いできませんでしたが、ずっとブログは楽しませていただきました。
そうですねえ…。
私の場合、ヒーリングの環境を経験するにつれて「子どもの頃の“あの”場面の雰囲気、匂い、光の具合」とか「“あの”夢の場面」とかに戻るような感覚を何度も味わいました。
そして今思うのは、実在する人や物だけではなく夢の中の存在からもたくさん力をもらったりしてここまで来てるんだな…という事です。
言うなれば、過去のその経験が現実であったか、夢であったかなんて別にどっちでも構わないような…。
今の私にとってはそれらの情報が、安全な場所にたどり着くための大事な“鍵”のようなものになっていると思います。夢に逃避するのではなく、その安全な場所からこの時間を生きるためのツールとして…。
そうしてみると本当に大切なものはずっと前から知っていたんだなあ…という事ですよね。
私が私らしくくつろげるその場所から、今年も楽しんで毎日を送っていきたいと思っています。今年もブログ楽しみにしていますね!
>ははっちさん
遅ればせながらあけましておめでとうございます。いつもブログをお読みいただきありがとうございます。今この瞬間の中にあるもの、それは五感やフィーリング、感情など、全てのビジョンの中に自分の答えがあるんですよね。そして、それは実は始まりから終わりまで一貫していて、生まれたときから知っている。
今年もよろしくお願いします。