ブログの読者の方から次のような質問をいただいておりましたので、今日はその質問の回答です。
「境界線を保ちながら、一体感を感じること」はできるのでしょうか?
「他者と自分の境界線がない状態」の時に、他者に流されることはないのでしょうか?
私たちは物理的な世界で生きている以上、必ず境界線を保って生きています。現実的に生きる上で境界線は大切です。でもあるポイントになると、その境界線は曖昧になってきます。つまり、自分が他者であり、他者が自分、未来が過去で、夢が現実で、みたいに。そして、このポイントになると、一切の悩みや不安も無く、傷付く事もなくなります。まさに「存在」という言葉になります。
ただ、そのポイントとは葛藤が無い状態の時ですね。もちろん葛藤があるとそれが自分を守る防御にもなるので、意識的に完全に境界線が無い融合状態にはなれないでしょう。それまでは、いろいろな場面で私たちは境界線を作ったり、外したりしています。不安定な状態ですね。共感能力もそうですね。もし相手の事が全て見えてしまい、その内容が自分の葛藤の引き金となれば結果的に傷付くことになるでしょう。
境界線を保ちながら一体感を感じる事はできますが、それは常にということではなく不安定な状態ですね。例えば感謝をしている時、何かクリエイティブな事をしているとき等、そこには境界線が無くなっています。本当の一体感を感じるときは境界線が無い状態です。
葛藤が無く他者と自分の境界線が無く融合しているとき、他者に流されることはありません。なぜならば、その状態のときは自分や他者という概念すら無いからです。確かに他者が表現しているユニークさというものを感じるかもしれませんが、それに流されることはなく、そのユニークな面さえも自分の表現の一つとして感じられます。全てが統合、融合している状態ですね。
葛藤がある内は、相手の中に葛藤を見させられます。葛藤をリリースしていく事で、自然な自己表現として他者との間の境界線が無くなって来るでしょう。言い方を変えれば、今までの境界線がすごーーく大きく広がるイメージで、自分の領域に全ての物質が含まれてしまう感じですね。
ただ安全に葛藤をリリースしていくためには、健全な境界線を保つ必要があります。それが自分を認める事、相手を認める事と深く関係しているように僕は感じています。
私は最近、自分とほかとの境界がなくなってしまう夢を見ました。自分がなくなってしまい、とても不安な気持ちになりました。目を覚ましかけたとき、夢とも現実ともわからない状態で「ああ、大丈夫だ」という感覚がきました。
とても不思議でした。しかもこの現実では私はアラフォー女性ですが、そのときは少年でした。「僕」という意識がとても強かった。不思議な体験でした。
ちょっと怖かったけれど、もう一回体験してみたいです。
こんにちは。
>「夢が現実で、みたいに。」
○夢の中で疑似実現という状態だったという事は、あるのでしょうか?
現世実現不可の事を、夢で叶える、疑似体験する、というような? あるいは、気持ちを試すための出来事として現れるとか?
そういうことは、ありますか?
〉葛藤があるとそれが自分を守る防御にもなる
○そういう状態があってもいいのですね。
「本当に手放してもよいか?」の「本当に」を考えていました。
葛藤が何なのかわからぬままで手放せても(?)、逆に、「有った時の方がよかった」という事も有り得るのかもという気がしていました。
葛藤が何なのか、わかったうえで「もういいや、いらない、必要ない。 あっちを知らないけれど、こっちよりあっちに行きたい」というように思えた時に「本当に」なのかと、最近思ったのですが・・・。
〉本当の一体感を感じるときは境界線が無い状態です。
○「常にということではなく不安定な状態です」というのは、「本当の一体感を感じるとき」は、「一瞬」が多いのでしょうか?
「ワークとしての、クリエイティブな事をしている時」「日常の交流としての芸術の合作」などは、「本当の一体感を感じるとき」が生じやすいのでしょうか?
現実生活なら、何かを皆で成し遂げた一瞬の時、とか、ですか?
>marronさん
コメントありがとうございます。なかなか面白い体験ですね。
まさにそれは別のタイムラインの体験のように感じます。
こちらの世界で全ての体験を終わらせていたとしたら、あちら側で目を覚ましていた
かもしれませんね。最近、そのような夢を見ている人が多いように感じます。
是非いろいろと探求してみてくださいね。
> takkさん
コメントありがとうございます。簡単になりますが質問に回答させていただきます。
私たちは全ての体験を実現するためにここにやってきていますので、全て実現できます。ただ、過去への不安や後悔があると、平行現実を作り出し、その体験を夢で見る事はあります。また、他の時間軸の現実を見る事もあります。この点で、夢の中で現世実現不可能な事を体験するということはあり得ますが、それはあくまでも可能性の世界で、実際の現実ではありません。今実現したい事があれば、遅かれ早かれ今の時間軸で実現することになります。
葛藤があるからこそ、私たちは人生を歩んできます。葛藤から文学作品や音楽等も作られ、多くの人が共鳴し、繋がります。ただ、自分の内側の葛藤を意識的に気付き、手放す事から他人や外側から影響を受ける人生ではなく、本当の自分から働き掛ける人生が始まります。確かに葛藤がある程度あった方が、馴染みのあるパターンから抜けなくてよいので楽かもしれませんが、本当の人生を体験するためには葛藤をリリースする必要があります。でも、葛藤に全て気付く必要はありません。最終的には自動的にリリースされていきます。
境界線が無くなる状態は、どんな環境であれ「集中」している時です。