夢の世界とリアルの世界。私たちは意識的にも無意識的にも両方の世界を日々体験しています。
夢の中でも視覚、触覚、味覚、嗅覚、聴覚の五感を使うし、いろいろな思考や感情も体験しています。この点においては、現実の世界と同じですね。ただ、夢の中の体験はシンボリックであって、場合によっては「自分」という概念が無かったり、支離滅裂だったり。実際、時間という概念もリアルとは違います。
現実の世界では、五感や感情はもちろん、義務、目的、人間関係等がありますし、時間軸は直線に流れていて、時間に従って体を使います。自分と他者、過去、未来という概念もありますね。
現実の世界では肉体があるので直接的、夢の世界で肉体が無いので間接的と言えるように感じます。
この現実で直接的に体を使って様々な事を体験できることは本当に貴重な体験です。また夢という現象があるのもとても面白い体験です。
そして、最近は夢と現実との繋がりが徐々に明らかになってきているように感じます。あるポイントで現実と夢の境界線が曖昧に、つまり夢と現実が同じに、もしくは現実と夢という区別が無い「新しい」空間が生まれるように感じています。
現実と夢の区別がない新しい空間・・ですか? ちょっと違うかもしれないけれど、夢によって、夢を見に行っている場所がちがうな・と実感しています。 A:支離滅裂で 「なんだかな~」という感想で終わる夢の場所と(すぐに忘れてしまう夢)B:かなり現実とつじつまが合っていて感情もリアル、起きたときに夢の中で感じた喜びだとか安心感が身体に残っているような夢の場所(メッセージや癒しを受け取ったりしてずっとと記憶に残っている) Bのところの夢のチャンネルがいいな・・・なんておもってもそこはコントロールがきかなくて、必要なときに観れているようにも思います
確かにいつもの見慣れた帰り道なのに、ふと「何かが違う・・・」別の場所にいるように感じたり、夢の中の札幌と現実(だと思っている?)の札幌とは違うのですが、現実の札幌にいるのに夢の世界の札幌にいるように感じることもあります。
また、現実世界で疑問に思ったことが、夢の中で「あ~そうだったんだ」と解決してることがあります。でも、夢が覚めたときに答えが何だったのか忘れてしまっていることが多いです
こんばんは。
「なんだかよく境目がわからないや~」状態をある意味楽しんでいます…。
それは夢とリアリティの境界線であったり、
また創造と目の前に具現化した現象であったり、肉体に表れたある影響についてもです。
今『アトランティスの叡智』を読んでいますが、とてもとてもワクワク楽しいです。
様々な‘きっかけ’を与えてくださるこのブログととみ様に感謝致します。
我が道を行きたいと思います。(笑)
ありがとうございます。
トミーさんこんばんは!いつも楽しく読ませていただいてます!初めてコメントさせていただきますね!
私にとって夢とはとても安らげるひとつの場所です。
デジャブが起きた訳でもないのに、昔見た夢を急にブワーッと思い出すというのは、いつもとても不思議な感覚ですよね。
もしあの時こうしていれば…の結果(もうひとつのありえたかもしれない未来)のような夢を見る時や、全く気にもしてない人と恋に落ちて、目が覚めてからその人を好きになってしまったり…(みなさんもこういうこと経験ありませんか?)いったい夢とは何のためにあるのでしょうか?
ただの願望夢や雑夢と、自分にとって本当に意味のある夢との正確な見分け方がわかりません。
目が覚めて忘れてしまっても、見た夢は頭の中のどこかに残されているのでしょうか?やっぱり忘れてしまっては意味がないのですか?
よくいわれる夢日記とは、どんな使い方をするものなのですか?
> フラワーさん
コメントありがとうございます。夢の状態って体の状態と密接に結びついているんですよね。いかに体に安心感を与えてあげれるかや、リラックスがキーですね。
>キノピー
コメントどうもありがとう。まさにマトリックスのようですね。実際に私たちは多次元的に生きているので、常に他のタイムラインに行ったり来たりしているとも言えます。ただ、無意識にその事を忘れているだけなんです。時間に気付き始めるといろんなことが起こり始めるように感じています。
> wanchan1wanさん
こちらこそコメントありがとうございます。まさにそうですね。私たちは常に様々な境界線と接しています。ある意味、その境界線を楽しんでいるとも言えますね。
アトランティスの叡智は、創造のコアとなる一冊です。是非活用してみてください。
>まゆさん
こんばんは。初コメントどうもありがとうございます。
夢はリアルに存在しています。それは物理的にも他の世界と表現することができると思います。時間軸のある空間の中で夢の目的を考えると、日常の問題解決、感情のリリース、インスピレーション等が挙げられますが、大きな見方をすれば単に目撃(観察や体験)をしているという事になると思います。それぞれの夢の軸には望みがあり、あるポイントで全ての夢が「この瞬間」と統合されます。「あの時こうしていれば・・」に関する夢は、平行自己の軸に行っている時の体験が多いです。夢は潜在意識との関わりがあり、起きた際に顕在意識の部分に残らない場合は、忘れてしまう事が多いですね。ただ、必ず夢は残っています。夢の見分け方ですが、見分ける必要性は僕は無いように感じています。全ての夢に今の時間軸と関係があるエッセンスが少なからずあります。ただ、それは顕在意識で理解できるように解釈されていることが多いので、一見意味がないように感じることもあると思います。その意味で、夢日記を付ける意義があります。夢日記を付ける習慣ができると、夢を覚えている事ができるようになってきますし、体に安心感を与えることができるので、夢の質も変わってきます。明晰夢という体験ができたり、体調によってはアストラルトラベルもできるようになってきますよ。是非夢を活用してみてくださいね。
トミーさん、質問に答えて下さりどうもありがとうございます!
夢の世界が物理的に存在するなんて驚きです!!でも毎日見てるものが存在しないほうがおかしいですよね?矛盾してますが…。あんなに面白い世界を単に目撃しているだけ、と思うと少し淋しい気もしますが、自分に都合よくならないように注意して解釈できたらと思います。
平行自己、がよくわからなかったんですが、ただ単に選択次第ではありえたかもしれない現実を夢で体験してみただけ…ということなのでしょうか。
夢を正確に見分ける必要がない、と言ってくださり凄く安心しました。ということは、自分にとって少しも意味のない夢は絶対見れないということになるんですね。ますます夢の世界に興味が湧きました!夢日記もぜひ始めてみようとおもいます!!
> まゆさん
コメントありがとうございます。夢の世界、平行世界、確率的偶然性、平行自己等…様々な呼び名がありますが、この空間に起こりうる現実というものが存在しているんですね。この意味で、「選択次第ではありえたかもしれない現実」を垣間見ている感じになります。今の意識は「この現実」にフォーカスしているように感じていますが、実は同時に様々な時空間を私達は体験をしています。つまり、全く関係ないと思える夢でさえも、この現実にいる自分と何らかの繋がりがあると言えます。
私は夢でか現実でか区別が付かなくて、困ってます。友達からこんなメールが来た!とか素敵な洋服を買った!とかなら確認できますが、店の店長とキスしたのかしてないのか、とか友達と喧嘩して気まずいとか、確認しづらい事があると、嫌になります。
>さくらさん
コメントありがとうございます。夢と現実の区別はあるポイントで恐らく無くなってくるように感じていますが、今の時点ではしっかりと区別しておくことが大切です。
完全に自分の中のバランスが取れていれば、夢と現実の両方で何の問題も無く生きることだってできます。その意味で、現実的に体を使ったエクササイズはとても役立ちます。例えば、ヨガや太極拳、気孔等、またはストレッチや散歩などでも、意識的に体を使うエクササイズは効果的ですし、あるポイントで夢と現実の境界線をスムーズに移行できるようになるでしょう。