自分が本当に望む事・やりたい事、明らかに行動に移せば現実化する事、何かを始めようとする事、物事の本質を知る事・・・そんな事の直前には必ずと言っていいほど「抵抗」という名の恐れがあります。
例えば、温泉やサウナに入ってから水風呂に入る直前、体からの何とも言えない抵抗があり一瞬苦しいようなセンセーションに襲われますが、入ってしまうととても心地よく感じることがあります。
マラソンやランニングも、最初はお腹が痛くなったり苦しかったりしますが、徐々に慣れてきて楽に走れるようになります。
そして、本当に自分を知るという体験、または「あちら側」へのゲートを通る直前にも苦しいような抵抗があります。これは死への恐怖という大きな抵抗と言えるかもしれません。
肉体を持っている以上、私たちはこの抵抗と常に共にしています。でも、抵抗もエネルギーであり、それは単なるエネルギーといことに過ぎず何の意味もありません。意味は私たちの人生の体験や情報から勝手に付けているものと言えるでしょう。抵抗に自分が納得行く解釈や言い訳を付けて、頭で理解できるようにし、後は無意識的に反応していることもよくあるものです。
始める前が一番大変かもしれませんが、一度始めてしまえば波に乗りその状況を今の視点からエンジョイすることができるものです。抵抗に対して意味を与える癖に気付き、「あぁ、これが抵抗なんだ」と観察できれば、抵抗は勇気に変わります。
久し振り。なかなか良い話だね。
こんにちは。以前みて頂いた者です。
確かに!何か新しいこととか、慣れていないことを始める時は億劫感が付きまといます。
個人的な話ですが、以前アートセラピーの勉強をしていたときに、門のオブジェを作ってそれを先生とシェアリングしたのですが、そのとき私は「この門はくぐりません」と答えました。「くぐると、いいことがあるというのはわかっているんだけど、横から眺めるだけ」と。
たぶん、その門をくぐることは本当に自分が望む世界に入ることなんでしょうね…。
くぐればいいのに。
こんにちは
なるほどですね。トミさんから教えてもらった呼吸法続けてますが、まだ脱出できません
身体が怖がっている感じです。肉体意識の頑固さ、臆病さというのは遺伝するのですか?
つい最近、夢の中で私がゲリーさんに色々質問しているのですが、何を聞いても「Do!」と言われている夢を見ました。
「抵抗」を観察する
今の私にぴったりです
時期をみながらフィンランドにも行ってみます
やりたくないことと、やりたいことだけど「抵抗」を感じることの2つの違いを見極めるには、どうしたらいいのでしょう。
それとも、やりたくないことも、やりたいことだけど「抵抗」があることの2つは、本当は同じだったりするのでしょうか。
こんがらがってきました。
でも、最近、おもしろい経験をしました。
仕事で営業的なことは大嫌いだったのですが、やらなければいけないことだったので、仕方なく営業的な動きをしていました。やるからには一生懸命やるので、それが良かったのかどうか、意外に良い結果が出るのです。
私は営業は大嫌いなはずなのですが、なぜか良い結果がついてきます。
トミさんのブログを読んで、これがもしかして「抵抗」だったのかな、と思っています。
> かぎさん
久しぶり。元気ですか?コメントどうもありがとう。
> yumi*さん
コメントありがとうございます。まぁ、その時はその時のタイミングもあったんでしょう。その門は遅かれ早かれくぐることになるんじゃないかなと思います。
> キノピー
こんにちは。コメントどうもありがとう。
肉体意識の傾向というのは、確かに遺伝します。ただ、それこそが葛藤だとしたら遺伝とは関係なく、まさに抵抗ですね。DO!というメッセージは文字通りですね。まずは行動あるのみ!
> かなさん
コメントありがとうです。是非フィンランド行ってみてください。
冬のフィンランドもいいものです。あの寒さに抵抗していたらフィンランドを
エンジョイすることはできませんでした。寒さという抵抗さえもエンジョイの
一環になります。
>marronさん
いつもコメントありがとうございます。そうですね。
ある意味「やりたくないこと」=「やりたいけど抵抗を感じること」という図式は成立するように感じています。どちらにも抵抗があります。
キーはどんな状況であれ自分をベストに表現することですね。結局、置かれている状況というのはある段階で「意図」したことです。それが結果として表れているに過ぎない。「やりたくない」と思っていることは、実は意図していることだったりします。
本当の自分を知ると、「やりたい」とか「やりたくない」という二つに分類した気持ちを超えて、どの体験も自分のエッセンスを表現している事をサポートしている体験だという事に気付きます。それが、意図と結果が抵抗無しにバッチリと結びついた瞬間で、現実化という体験になるように感じています。
今、このブログを読むことができてよかったです。まさに、直前の恐れでした。自分が考えていた通りのリクエストが来たとたん、急に恐怖感が出てきて。「自分にはできないんじゃないのか」「自分はそれを書くに値するか」「私なんて別に何をやったわけじゃないし…」と、なぜか自信を失わせる想いが次々にわいてきて、苦しい気持ちになっていました。
以前、富さんに言われた「伝える」ということとつながっていることだからかもしれませんね。こんなに恐怖を感じるポイントは、ここだけですし。仕事にしても、生活にしてもそれ以上に大変なことはこなせてきているはずなのに。不思議ですね。
>チェリーさん
コメントありがとうございます。まさに抵抗ですね。でも、お気付きの通り、抵抗に気付けば、徐々に抵抗ではなくなってきて単なるエネルギーになります。つまり意味が無くなってくるってことですね。