世の中の情報が日々増えてきています。情報が社会の意識に影響を与えているとも言えるでしょう。情報は情報であって、「正しい」か「間違っている」かは関係なく、いかに活用するかがキーだと感じています。
世界を個人的に捉えることをしていると、情報によって「自分らしさ」「自己の本質」にヴェールが作られ、世界の影響や他人の影響で、人生を送る事になってくるでしょう。世の中の情報は様々で「人生苦もあれば楽もある」という言葉のように、様々な人間模様が描かれています。もちろん、人生は辛い事があって、そこから何かを学ぶ、全てはレッスンだという生き方も選択の一つですし、プロセスの一つです。何か起こった際に、その出来事の情報によって、一時的に落ち込んでから「これは学びだ」と気付き、方向修正を試みるパターンです。このパターンを続けると、次に何か問題が起こった際も同じパターンで解決を試みます。つまりは、「苦」がある事を前提にした生き方です。
でも、自分を罰して「苦」を作り一時的な快楽を得る生き方を思い切って止めて、本当の自分の姿、心から望む事を努力無しに達成する生き方をすることを誰しもができます。そのためには、今までの馴染みのある習慣やパターンを思い切って捨てる必要性があります。この場合、情報によって一時的に落ち込まなくなります。個人的に世の中を受け止めなくなるからです。
魂の視点、大きな視点を持って生きる事ができれば、人生から「学び」や「レッスン」が無くなります。本当は何も「学ぶ」必要は無いんですね。何も足す事はできないし、取り去る事もできない。それが本来の私たちの姿です。
なるほど、そうですね~。
オリンピックなどを見ていると、ついつい「苦しみ、挫折→克服→夢がかなう」の公式にはまっちゃいます。
このところ、望んだことが、するする実現して、あれ、いいの? と思ってました。他の人から、「がんばっているね」とか言われて、何か違和感あったり…。
でも、いいんですね、これで。
富さん、お疲れ様でした~。
今日の内容を読んでいて、母が常々私に言っている言葉を思い出しました。「やりたい事とやれる事は違うでしょ。我慢するとこは我慢しなきや。」・・・これで育ってきました。今だに言われてます。言われるとイラっとするし、かえって反発したくなるお子ちゃまな私!
“足るを知る”=“贅沢を言わない”という解釈でしょうね。身の程を知れ、と言うニュアンス。でもそうじゃなくて“足るを知る”=“満ち足りていることを知る”=“完全である”と見ていくと今までいかに、わざわざ自分を不自由にする方向に行っていたのか・・・とよくわかりますねー。
>チェリーさん
コメントありがとうございます。どうしても社会の意識は「努力=結果」という図式が一般的なので、集合的に「頑張る」「努力する」大切さが伝えられているんですよね。でも、努力なしを選択することだってできるんですよね。葛藤が無ければ、瞬時に実現されます。
こんにちは。はじめまして。良子と申します。
黙々と読ませていただき、はっとすることがあると、じーーーっと考えさせていただいています。
いつもありがとうございます。
今日は、「なぜ自分だけが・・・」という考えにはまってしまい、その考えから抜け出すためだけに「これも何かの修行でしょう」と思い過ごそうとしていたところでした。
私がいつも忘れてしまうのは、「私がそうなると思えば、もうそこにある。そうなっている」ということです。
またそのことについて考えるポイントがずれないよう、いつもリラックスを心がけたいと思います。
誕生日おめでとうございます。
一年経つの早いですね。
ご活躍、色々と聞かせていただいております。
頑張って下さい!
>ははっちさん
コメントありがとうです。そうですね。どこにいようと、どんな状況でも私たちは完全なんですよね。それを不完全としているのがサバイバル意識。完全性と不完全性の2つのバランスが取れたとき、本当の自由が待っていると感じています。
> りょうこさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
まさにその通りですね。「そう思えば、そうなる」ですね。
いつでも一貫したリラックス。これは本当に大切ですね。
> パオパオさん
こんにちは。誕生日メッセージありがとうございます。
覚えていてくださり嬉しいです。
しかし、一年経つのは本当にはやいですね。