以前書いたことの続きです。
期待しない事を期待すること。これが自分のビジョンや意識を拡大させるためのキーになりますが、ちょっと分かり難い概念なのでもう少し紐解いてみようと思います。
期待しない事とは、今まで自分には無理と思い込んでいた事や、予想できないことですよね。期待する事は、過去の体験や人の話等を通して予測可能なことです。
そして、「期待しない事」を「期待する」とは、今まで無理だと思っていたことや、予想できないことを、予測可能にするということですね。
でも、ここでも矛盾が生じます。期待しない事を期待した瞬間、「期待しない事」が「期待すること」に変わりますよね。そうすると、次は更に期待できない事を、更に期待することにしていく必要がある訳です。でも、その期待しない事を期待した瞬間、それは「期待すること」に変わります。
結局、期待は無限になり、期待する事は、私たちのビジョンの限度を超えて永遠に存在することになります。
ということは、最終的に期待さえも無い状態になり、「期待を手放す」事に繋がります。その状態が、自然であり、どんな事でも受け入れることができるし、無条件の愛から、無限の愛に繋がっていきます。そして、シンプルになってくるようにも感じます。
自分と素直に向き合うことで、
自分以外を気にすることがなくなるんでしょうね。
期待するということは、
自らの架空の想像でしかないわけだから。。。
今日のとみさんの文章を読んでいると、自分がいかに自分というものを限定しているのか、ということがよくわかりますねー。
自分で限定していながら“今の自分は本当の自分ではないのでは”とか“今の自分に不満”とか言ってどこかにあるはずの“本当の自分”を探しに行ってしまったりするんですよね。
そうして今の自分とも一緒にいられず、内側にある“本当の自分”にも気づかずうろうろしてしまうんでしょうね。“本当の自分”を探しながら、chiakiさんの言うように「架空の自分」しか見てない状態ですよね。
ブログを読んでの質問です。
「期待しないこと」が「期待する」になり、その後、それらのやりとりを経て「期待を手放す」になっていくことは、理解できます。
読んでいてふと思ったのですが、「目標」はもたないほうがいいのでしょうか?
くらげのようにフラフラちゃぷちゃぷ波を感じて、いつのまにか気がつかなかった自分に行き着くのがベストだと思っていますが、いっぽうで「目標」や「欲」があったほうがいいのでは? と思う自分もいます。
どうなんでしょう。
ぜひ教えてください。
>chiaki
コメントありがとう。まさに自分の本質の部分に気づくことがキーだね。結局、期待しなくてもその部分に全てが詰まっている。そして、それは無限の可能性。
>ははっちさん
コメントありがとうです。まさに自己イメージですね。「今」の自分ではなく、「過去」の自分にフォーカスすることで、自分の可能性を限定的にしてしまうんですよね。どんなものでも全ては「過去」の経験や体験が意味を与えていますが、それさえもリリースする必要があるんですよね。そうすると今までの期待が新しい期待に変わり、最終的には期待すら無くなって来ます。
> marronさん
質問ありがとうございます。なかなか深い質問ですね。回答していたら記事のようになっちゃったので、改めて記事として投稿します。