最近、日本人だけでなく外国人の翻訳家の方々と出会う機会が増えています。昨日もニュージーランド出身の翻訳家の人と出会い、いろいろと言葉について話をしました。その方が言うには100%海外の言葉を日本語に変換することは不可能とのことで、よくても90%とのこと。その背景には言語体系の違いはもちろん、文化の違いも影響しています。
また、特に英語の歌の歌詞を100%日本語に翻訳することも無理があるとのこと。映画もそうですね。独特のニュアンスや言葉の裏にあるニュアンスを完全に翻訳するには、注釈を付けたり、解説をつけなければならないでしょうね。
文字だけでは伝わらない何パーセントの部分には、本来の言葉を越えた意図が隠されているように感じます。古代インドのヴェーダもそうですが、本来の表面的なことに捉われるのではなく、裏側に隠された事に注意を向けることがキーだと感じます。
これは歌の歌詞だけではなくて、日頃起こっている出来事についても同じだと思います。一見大変だったり辛かったりすること等にも実は自分の道をすすむヒントが含まれているように感じています。
そんなことを思っていたら、学生時代のシェイクスピアの授業を思い出しました。シェイクスピアの作品も古い英語であり直訳では意味が分からず、その言葉や状況が表すシンボルがキーになっていました。
完全に意味を分かろうとするのではなく、これは一体何のシンボルなんだろうかと思いつつ日々の出来事をただ観察するだけで、自然と分かってくるものだと思います。
うちの夫婦みたいなことだな、こりゃ。
(うっ、自虐的~。爆!)
お久です! 最近訳について洋画を観ていて全く同じ事を考えていました~。
ストーリーの前後の流れでその役者の言わんとする感情を訳していたりすること多いですよね。
例えば、「Don’t do that!」がある映画のひとコマでは「無茶するな!」だったり、
「tricky,tricky,,,」が「面倒だよな、複雑だよな」だったり。シンプルな単語や言葉だと尚更訳をする人のセンスによって物語のニュアンスが違って来たりもするのでしょうね。
後、日本では一つの言葉で表せる言葉が外国語では数個あったり、逆に日本にはあるのに、外国語にはその言葉を表すものが無かったり。
日本語では表現できないのに、外国語ならすんなりと言えたりする場面もありますね。
不思議です。
裏側に隠された事に注意を向ける事がキーだというのはとみ~さんらしい発想だね!
> はっしー
(^_^;)
>にしやん
コメントありがとう。お久ですね。
最近、想うのは日本語は曖昧な言語だということ。日本語は「間」や「空気」を重んじている言語なんで、英語はなるべく正確に場の定義をキチンとする言語なんだなって想います。英語に冠詞があって、日本語にはそれがない点も関係しているよね。日本語は冠詞が無くて楽だなって想っていたけど、話す環境や内容によっては可能性としてうまく伝わらずに誤解が生じることがあるかもしれない。日本人には和の精神があるから状況で理解はできるけど、なるべく直接的に話をすることは大切だなって想ってます。