You do know what you do not know.
知らないということをあなたは知っている。
結局、この世はシンプルなゲームのようなもの。シンプルすぎるので、多くの人が複雑に物事を捉えてしまうようです。
でも、誰しもが自分の事を知っています。知らないふりをしているような感じ。
この時空間だけではなくて、多次元的な時空間に気付いています。
知らないふりをするように決めているのは、今の人生だけではなく、
人によっては1万年という幅かもしれません。
でも、そろそろ知らないふりをしていることに飽き飽きしているかもしれません。
複雑な視点でみれば、「知る」ことは怖いことに繋がります。
なぜならば、ゲームが全て分かってしまうから。
でも、知りたいのであれば、そうするしかありません。
ホントにそうですね。知りたいなら、そうするしかないんですよね。
私も知りたいと思って、スピリチュアル関係から、物理学、宇宙論などの本を読んでみました。でも、知識として理解するのと違うバージョンでの「知る」という体験もありそうですね。
どうなんでしょう、ゲームが全てわかったら、つまらなくならないのでしょうか?
>チェリーさん
コメントありがとうございます。確かに知性で理解できることは活用できますが、ある状態ではもはやここの世界の疑問等が思いつかなくなる、と言うか全て知っているのでそれだけでOKになります。まさに知るという体験です。
その状態を体験した上で、現実を生きる事は、ゲームのルールや全体を知った上で、ゲームをすることになるので楽になります。全ての瞬間が喜びやジョーク?に溢れている感じですね。
でもゲームのルールを知ったとしても、ある段階までは現実は続きます。