暑い日が続いていますが、皆さん調子はどうですか?実家の松本に帰省してきましたが、全然避暑地ではなくこんなに暑い松本は初めてでした。
実家で小学生と中学生の頃の日記を発見しました。当時の忘れていた記憶が蘇り、自分の中にある眠っていた当時の想いと今への影響がよく分かりました。小学生の頃の日記は、小学3年~4年のもので、ページを埋めるためのストラテジーとしてなるべく日本語を使い、「そして」という言葉で繋ぐことをよくやっていました。先生からのコメントで印象的だったのが「なるべく漢字を使い、『そして』ではなく、もっと自分の気持ちを表すこと」というようなものでした。頻繁にサッカースクールでの試合の事が登場し、「楽しかった」とか「負けて悔しかった」等の言葉が使われていましたが、今振り返ればそんなに楽しくなく、義務感や「皆がやっているから」とか「カッコいいから」みたいな気持ちでいました。自分の気持ちを表現することが上手くできていなかったように感じます。
中学生の頃は日誌という形で毎日その日の出来事を中心に書いていましたが、やはり本当の自分の気持ちを表現しておらず、部活も帰りが遅くなったり、休みの日も練習試合があったりと大変だったにも関わらず、「楽しかった」等の表現をして自分を作った表現をしていました。もちろん部活の達成感は今でも記憶していますが。当時の事を振り返ると、受験や部活、友達との関係等で、結構抑圧を受けた時があったように思います。そうなると、通常魂の意識が優位になるはずが、サバイバルの肉体意識が優位に立ち不完全さが生じ、葛藤を生み出す傾向があるようです。
ちなみにですが、今の子供たちはどうでしょうかね。もしかしたら、当時の僕のような立場になっている子供たちが多いんじゃないかなとも感じます。
昔の日記を、再体験せずに、ただ観察しながら読み返すと今に影響を与えている葛藤的な事等が分かると思います。機会があったらお試しを。結構、忘れていた記憶も蘇り面白い体験になると思います。
昔の日記を、今読み返すと面白いですよね。
記憶ってどこかに仕舞いこんでいるみたいで、ふとしたことで、鮮明に蘇るんですが、昔の日記を読むと、懐かしさと共に当時の感情も蘇ります。
自分の記憶はどこかに保存されているんだなと思うと、アカシックレコードって凄いなと。どんな記憶媒体なんでしょうかね、アカシックレコードって。
私も半年前、とみさんと同じく小学校3~4年の日記が出てきて、大笑いしながら読み返しました。
びっくりしたのは、小3の時、クラス会長だったのですが、「自分で立候補した」と書いてあったこと。今の自分からは、全くもって考えられないので(汗)。結構、忘れているんですね。自分ながら、興味深いです。
>パオパオさん
コメントありがとうございます。まさに日記はある種アカシックを象徴しているように感じます。日記を読んで何も引っ掛かる所が無くなれば、それは葛藤が無くなり、ハートがオープンになっているという指針になります。
> チェリーさん
コメントありがとうございます。そうなですよね。記憶っていうのはとても曖昧なんです。記憶は塗り替えられたり自分に都合よいように保存されている場合があります。それが切欠で葛藤になっている場合があるので、もし気になる事があれば本当に事実だったのかチェックすることは大きなギフトになります。