世界には様々な言語が存在していますが、それぞれの言葉はその国や地域の文化を投影していると感じます。英語と日本語を見ても、単に訳しただけではニュアンスが伝わらないことが多いものです。那須に行った時仲間達とこの点についていろいろと話をしてきました。
例えば英語の”I love you” これは単純に「私はあなたが好きだ」とか「私はあなたを愛している」では伝わらない場合があります。言葉は言葉であり、その気持ちまでは文章だけではなかなか伝えるのは難しいですよね。
二葉亭四迷が初めて”I love you”を訳しました。その訳は「死んでもいい」です。
Loveには様々な表現があります。特にスピリチュアルで使われる愛は実に深遠なもので言葉では簡単に表すことができないように感じます。二葉亭四迷の訳はまさにこの点を突いているんじゃないかなと感じます。
また「頑張る」という日本語。本来の意味は「苦労を乗り越えて努力すること」であり、前提に苦労があるという言葉で、文字通りはあまり使いたくないというか、この世の本来の姿の裏を表しているように感じます。しかし、使い方によっては本来の姿のようにも使えることに気付きました。友達同士等で励ましの意味で使う場合には、英語にすると”Good luck”になりますしね。
言葉は意図とヴィジョンが結びついて本当の姿になると思います。使い方によっては、人を傷つけたり、自分自身を追い込んでしまったり。その意味で、言葉は日々注意して活用する必要性があるように感じます。
こんにちわ(・0・)日常生活の中で
よく耳にしたり、言葉にしたり、励ましや応援する意味で使っている言葉{頑張れ}{頑張る}私はこの言葉に疑問を感じたことがあります。この言葉が持つ表と裏・・・・・・
でも、今回の富さんの話で(なるほど!!)すんなり心に入り込んで来ますね(・~<)