例えば友人と、自分がすごく気に入っている映画について話をする時。友人のその映画に対する評価が違った場合、特に全く正反対の意見だった場合、どのように感じますか?人は全く違う意見を聞くと、大抵の場合(もちろん人によりますが)、反発したい心を少なからず持つものです。
しかし、この世の中、みんな個性があり受け取り方は千差万別。例え、同じように面白い映画だと感じていても、面白さを見出すポイントは異なります。更に、例え面白さを見出すポイントが同じように感じても、その感じ方は全く同じではありません。ただ、似ているというだけです。
と言うのも、この世の中に自分と全く同じ人はいないからです。逆に全く同じ人がいたら、それは地球ではなくなってしまう。もしルールがこの世にあるとすれば、これが一つのルールだと僕は感じます。
スピリチュアルな概念においても同じことが言えます。地球には様々なスピリチュアルの概念がありますが、お互い矛盾する概念や、意図は同じでもアプローチの点で矛盾があるということもあります。ヒーリングストーンの概念も全く同じで、石の意味についても様々ですしね。
でも、これでいいんです。世の中は自分の目で見ている世界で、自分の意識が投影した世界。まさに自分主人公の映画。自分がどのように見るかで、全てが変わるようになっています。
なので、様々なアイデアに出会うのは当然で、自然なことです。その中から自分を見つめることが大切じゃないかな。自分は自分でOK。ただ、前提となるのが、他人の喜びの邪魔をしないということじゃないかと感じます。「私は私の喜びを実現していくことを認め、あなたがあなたの喜びを実現することも認めます。」ということが大切だと感じます。さっき、自分主人公の映画と書きましたが、ここは他人主人公の映画とも言えます。他の人の喜びになることを邪魔するということは、結局は自分自身が喜びになることにブロックを掛けてしまうことになると思います。まさに、自分と相手を認めるユニティ(調和)が大切じゃないかな。