Raisn Theory(干しぶどう理論)という面白い理論があります。これはお笑いのバナナマンのネタの中で使われている話ですが、お腹が一杯の時、しかもデザートは別腹とかも無くてもう何も食べれない時、そんな状態の時でも、干しぶどう一粒なら食べることができます。一粒食べてもお腹は一杯の状態。この状態でも更に干しぶどう一粒なら食べることができます。と言うことは、干しぶどうを無限に食べ続けることができます。これが干しぶどう理論。
バイキング(食べ放題)でも面白い記録があって、たくさん目の前に並べて食べるよりも、少しづつ持ってきて食べると、たくさん食べることができて得をするというものです。
お腹が一杯になるのは満腹中枢が刺激されるからですが、それは全て意識次第ということになります。干しぶどう理論のように私たちは無限に食べ続けることが本当はできるのかもしれませんが、意識には人それぞれ境界線があって、その境界線を越えると満腹シグナルが出るんでしょうね。バイキングのように目の前にたくさんの料理が並べられると、視覚情報で得た意識が既に満腹シグナルを出してしまうのでしょう。意識と食は大きく影響をしていると思います。
干しぶどう理論は食だけではなく、全ての感覚に当てはまると感じています。例えば、何かを達成したい時。たくさんの知識や技術が必要で、しかも速く現実化したい場合、全ての必要要素をイメージしてしまう傾向があります。そうすると、一杯一杯になってしまい、結局はなかなか現実化しにくい状態になってしまう。
一番速く現実化させるためには、必要なことを焦らずできるところから一つ一つ行っていくことがポイントだと感じます。干しぶどう理論のように。可能性は無限ということになります。
また、技術等は必要にはならない漠然とした現実化、例えばお金とか物質的なもの。この場合も干しぶどう理論が役立つと思います。いろいろなケースがありますが、現実化の場合は「自分にはそれを受け取る価値がない」とか「自分には絶対無理だ」と自己否定等の恐れがブロックとなり、そのためなかなか受け取れない場合があります。一度恐怖が生まれると、次へ次へと恐怖を作り出してしまいます。干しぶどう理論のように、自分の受け取る価値がある面を一つ一つ受け入れていくことが物質的な現実化には大切だと思います。
干しぶどう理論があるからと言ってたくさん食べてください、ということではありませんので。食は一味一味を楽しむためにあります。結局、人間の感覚は意識が作り出しているに過ぎないということが、干しぶどう理論の考え方から感じます。
いや~あ、そのとおりだね。いまいろんなことが積み重なって苦悩と思考の渦潮に呑み込まれてアップアップしてたところ。あせってもしょうがないよね。なんかスッキリしました。
いま読んでる本で「なぜ人は制限を設けるのか。その制限はほんとうに必要か」といった話しがあったんだけど、これもおでれーた。人は知らないうちにどんどん自分の視野を狭めてるんだよね。これでやっと革命が起こせるよ!
ちなみに“干しぶどう”はキライ。
ウスシックス君、コメントいつもありがとう!干しぶどう理論はまさに制限を越えるという点がポイントになってるよね。僕のアムステルダム体験もまさにそれだったな。制限を越えると「な~んだ。いいんだ。」の言葉しか出てこなくなる。
様々な情報があって、それをそのまま鵜呑みにすると、そこから制限・思い込みの世界が創造されてしまう。しかも、目に見えている実際ではなく、思い込みという心の中での現実化。結局外側にもそれが投影され始めてしまう。
干しぶどう理論が何かのヒントになれば。
ほいでは!