他力本願・・・この言葉はよく聞きますよね。よく使われている意味は、「他人に依存して物事を行なうこと」というような意味で使われていますが、これは本来の意味とは異なった誤用です。
他力本願という言葉は仏教用語であり、親鸞聖人が使った言葉で、「阿弥陀仏の本願の力にすがって極楽往生を願う」ということです。ちょっと分かり難いので簡単に説明を。
まず本願の意味ですが、簡単に説明しますと、この世の全てを生み出すエネルギーが現実に投影されて具現化することを表します。では他力とはどんな意味があるでしょうか?他力の逆が「自力」という言葉になります。自力とは表面的な自分に縛られている状態、つまり葛藤やエゴに支配されている状態のことになります。そして「他力」は自然の法則に従い、本来の自分を知ることを指します。このことは「お陰様」という感謝の言葉にも通じる点になりますが、ここで生きていられることの歓びや感謝を指します。
自分を知るには他人との関係性・出来事を通すことに必ずなります。ここは他人と自分が分離しているからこそ楽しい場所なんですね。また、様々なエレメント達(天使、菩薩、守護霊、ガイドとして呼ばれているスピリット達)と一緒に様々な出来事を体験し、またお互いにサポートし合っています。
他力本願とはこの世を創造している全てのエネルギーを尊重し、本当の自分の姿を知ること、現実化していくこと、という意味合いになります。なので、どんどんと他力本願で行きましょう!!
ちなみに、他人の力に頼ることは「他律」。自分自身の力に頼ることは「自律」です。なので、他人に頼った場合は「他力本願で○○した」というのはちょっと意味がおかしくなります。その場合は、「他律で○○した」と使うのがいいんじゃないかな。
仏教用語は結構歴史的な流れで誤用されているケースが多いようですね。頑張るという言葉もそうです。頑張るとは「我侭を通す:我を張る:エゴを貫く」というのが本来の意味。言葉にはフォームがあります。遅かれ早かれ現実化します。なかなか現実が想うように進まない場合、日頃使っている言葉を注意してみてください。もしかしたら、誤用しているかもしれません。
さびさび参加させてもらってます。
富さんの過去のブログを日々自分の今の状態に応じて参考にさせてもらっています。(勝手にすみません)「他力本願」「頑張る」の誤用のお話とても為になります。普段、物事が進まなかったり、空回りしているときは、「我を通すという頑張り」をしていたり、私を取り巻いてサポートしてくれる全ての存在を「信頼」出来ずに、「自力」で何とかしようと思っていたりしますね。全ては自分の責任において成る様になっているんですね~。宇宙のサポートの存在をもう一度瞑想して深く感じてみようと思います。ありがとうございまーす。
もっくさん、こんにちは。メッセージありがとうございます。参考にしていただいて嬉しいです。あくまでも僕のアイデアなので、もっくさんらしく活用いただければなんて思います。「信頼」という言葉は大切ですよね。もっと言えば、「自分を既に知っているんだ」という感覚ですよね。そう感じていれば、何が起こっても大丈夫♪ですね。確かに巻き込まれているとバタバタとしてしまう傾向はありますが、そんな時こそ「これはチャンスだ~」と言えるかどうか。ここがポイントじゃないかなぁと思います。
富さん、補足説明ありがとうございます。
富さんの文章は、イメージしやすくスーっと入ってくるのでとても有りがたいです。
「自分を既に知っているんだ」とは、『自分とより深く繋がる』作業のような感じがしますね。
ピンチや苦境に見舞われたときに、チャンス!!っていう捉え方ができるときに人は大きく成長するんですね~。ということは、今は私にはチャンスがいっぱいですヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
またお邪魔させていただきます。