最近、僕の住んでいる戸越公園にモスバーガーが出来ました。連日大盛況のようで、テイクアウトを頼むと20分位待つことになります。今日はちょっと遅いランチで会社に向かう途中15時位に行きましたが、20分位やはり待つことに。待っている間、店内の様子を観察していました。
店内にはテイクアウトを待つおばあちゃんとお孫さんらしい一組が待っていました。しかし、テイクアウト商品はなかなか用意されず、遂におばあちゃんが痺れを切らして店員に「まだですか?」と詰め寄りました。しかし僕の後に注文されたので、まだ時間が掛かりそうです。仕方なく、もうしばらく待つ様子かなと思ったら、今度はお孫さんを何やら叱り始めました。恐らく、お孫さんがモスバーガーを食べたいと言い出したようですが、何かの待ち合わせがあるようで、結局待っているために遅れそうだとのことでした。
そしたら、店員に子供が泣くからもういいです!と言って店を出て行ってしまいました。店長さん大慌て(^_^;)
この光景を見て、僕も小さい頃似たような経験があったような気がしてきました。子供は欲しいものをもう少しで手に入れられる時に、大人の一言やその時の都合で、子供の願いを拒否してしまう出来事。そうなると、子供は大人の顔色をいつも伺うことになり、とても悪い事をしたという気持ちになってしまう。結果として、自分は迷惑をいつもかけてしまう存在だとか、自分の思い通りに物事は進まないんだという先入観がついてしまい、そのまま大人になっても同じ気持ちでいて「ためらい」を感じてしまうことが多いように感じます。大人の子供に対する影響力は非常に大きいと思います。
今回のモスバーガーでの出来事は確かに様々な事情があったとは思いますが、子供がハンバーガーを食べたいと言って、大人がそのことを許可したから注文したのは確かです。時間とは状況です。あと1分待ったらハンバーガーが出てきたというのに・・・そのことを考えたら、遅れるような一時的な出来事よりも、これから将来そのお子様の可能性を知れば、ハンバーガーを与えるべきだったんじゃないかなって思ってしまいました。
しかし、今回の出来事は、全て自分で創造していることに過ぎません。今回の出来事を観察して、自分の内面にある「何か」がクリアになったと感じています。その意味では、今回の出来事を見せてくれてありがとう!という気持ちで何だか笑いが込み上げてきます
と、そのような状況でハンバーガーを与えてもらえない子供が、大人に成長すると僕のようになります。(笑)
何かを創造する側の人間は、多少歪んでいても仕方ないかなぁ、と最近思います。