今、体験している私たちの世界は、一部分な体験で、言わば体という意識と一緒に体験をしている世界で、どんな行動をするにも体が必要になります。もちろん、私たちの本質的な意識が体験を望んで体験している体験です。
本質的な意識はいつでも拡大をしていて、この体がある世界以外の領域の全てを今この瞬間でも体験をしている訳ですが、この世界は体の意識が体験のベースになっているので、体の意識に縛られている時は、他の領域は意識されていません。この世界で求めている体験に満足してくると、他の領域をよりスムーズに体験することができるようになってきます。
私たちの本質的な意識が拡大をし始めると、まず抵抗してくるのが体です。完全に体にブロックが無ければ、スムーズに様々な領域を体験することができるものですが、体のブロックがあると、抵抗が生まれます。それは、川の流れをせき止めている大きな石の周りにゴミが溜まったり、流れが停滞したり、石に強く水がぶつかるように。例えば、夢、幽体離脱や体外離脱、死の体験など、様々な体験の際に、体の抵抗があると、体験は体の意識よりに展開します。
例えば、夢は様々な本質的な意識の体験の記憶ですが、体にブロックがあると、現実的な時間軸の中で知性が理解できる形で摩り替わるため歪んだ記憶になりますし、死の体験の際では、人生に後悔や屈辱、「ああしたらどうなったかな」という強い想いがあると、この肉体から離れていく際に、もうその事しか考えられないようなグルグルと同じ事のループが始まります。体外離脱や幽体離脱でも、まずは体の抵抗があり、耳鳴りが強くなったり、金縛りになったり、怖さで包まれたりなど、様々な現実的な体が持つ抵抗感があります。
他の領域を体験すること、つまりは多次元的に生きて、この世界だけではなく様々な領域を「遊び場」にするためには、体のバランスを取っていく事がキーだと感じています。