今回は意図に関してご質問を頂いたので、その回答を掲載したいと思います。参考にしてみてください。
Q. 意図を明確にするのが苦手で、自分の意図したことが本当に結果になっているのか自信がありません。どの瞬間も自分の意図に気づいている在り方はすごく大変な気がします。
意図には2つあります。一つは本質的な意図、もう一つは何かを避けようとするような恐怖から発信される意図です。本質的な意図は「私は○○がほしい」とためらわず宣言できます。そこには誰から言われたり比較したりするものではなく、本心から宣言できるものです。逆に恐怖からの意図は「○○したくない」とか「(何かを隠したいから)○○がほしい」というような恐怖心が作り出す意図です。ここでは前者の本質的な意図について書かせていただきます。
確かに自分の意図を毎瞬毎瞬に意識していることは難しいですね。常にそのことだけを考えていると、それは意図ではなくて執着や期待になってしまいます。意図と執着・期待の違いは、意図は自分自身のビジョンが明確になっていて自分の状態、期待・執着は自分のビジョンが狭くなり、他者と比較をしたり、なかなか結果に表れない事に対する焦りや、「こうじゃなきゃならない」というような正しさ、見返りを求めてしまうような状態です。結果的に恐怖からの意図になりますね。こうなると私達は簡単に傷付いてしまいます。
意図した事が結果になっているかどうかは、今手に入れているモノや状況で分かります。どんな状況であれば、今の状態が満足している状態であれば、それは本質的な意図が結果になっていると言えます。
逆に、何かしっくり来ていなかったり、手に入れたモノが思っていたものと違ったり、現状に不満がある場合、意図が恐怖からのものになっていたり、本質的な意図だったにも関わらず、なかなか結果に表れないために焦って葛藤している状態になります。
意図とは、暗闇の中を進む船を照らす灯台の灯に例えられます。真っ暗の中を航海しているとどこにいってよいか分からず迷ったり元来た道を戻ろうとしたり、習慣に従って進もうとし、目的地に到着できないか、すごく時間が掛かります。灯台の灯があれば、シンプルにその方向に進めばOKです。なぜ光っているのかとか、どのように光っているか、どのように進もうか等いちいち考える必要はありません。そこに進めばよいだけです。
この意味で意図は一回できれば十分ということになります。何度も意図をし直す状態は意図ではなく執着や期待になってしまい、恐怖からの意図がパワーを増していきますし、自信も無くなって来てしまいます。
一切のプロセスを一旦脇に置いておいて、「どんな事が起こるか分からないけども結果的にこうなる」という意図を持っておくだけでOKです。「これを手に入れたら誰かに奪われてしまうかも」とか「これを達成するためにはやらなきゃならないことがたくさんあるから無理だ」とか「あの人は能力が高いから、自分には無理だ」みたいな想いが意図を曇らせてしまいます。
自信を得るためには、理論だけではなく意図が結果になっていくプロセスは体感する必要があります。まずは身近な所で、葛藤が無い些細な望みを意図してみます。ためらいなく「私は○○について知りたい」とか「私は○○を食べたい」等、葛藤が明らかに無い意図を宣言してみることが自信に繋がる一つの方法です。
意図ができたら、あとは今自分が興味ある事やクリエイティブな事、ずっと習いたかった事を勉強してみたり、自分自身の好奇心やワクワクを満たすような行動に集中していきます。まずは行動です。動くことで徐々に「在る」という状態になっていきます。この在るという状態が意図と結果が一致している状態、つまりは「実は既にほしいモノ、なりたい姿はいつでも自分の中にあったものなんだ」と気付く瞬間です。
以上ですが、参考になればと思います。