古代の時代、西暦以前の時代から、地球上には様々な祈りや儀式などが存在し、現代に繋がってきています。お祭りやダンス、音楽、歌、アート等の形の中に古代からの祈りや儀式の様式が伝承されてきています。
儀式とはある一定のフォーマットによって作られた様式で、様々な存在や自然との繋がりを祈ったり、癒しを祈ったり、自分との本質との繋がりを祈ったり等様々ですが、儀式とは意図をストレートに結果にしてくれるパワフルな祈りのように感じています。
ある一定のフォーマットに従うという点では、私たちの日常も儀式化されたものが多いです。例えば、朝起きて顔を洗って、歯を磨いて、シャワーを浴びるというような一連の動作。ご飯を食べる前に手を洗って、「いただきます」という宣言をする行動。
帰宅する際も、自分で決めた道を歩いて帰り、家についたら「ただいま」と家族に伝える事。寝る前にはお風呂に入り、歯を磨いて、読書をしてから寝る・・・等、日常の様々な行動も儀式的であると言えます。
世界には様々な儀式がありますが、共通しているのは「意図」です。「何のために儀式をするのか?」という点ですね。儀式で大事な事は意図です。
日常の様々な儀式的な行動の場合、毎日の繰り返しの作業で、ついつい無意識になりがちです。つまり意図が無い儀式的な行動と言えます。
例えば、引越しをして新しい街に来た時、旅行をして初めての土地に来た時、一歩一歩の歩みが五感や感情を満たして、ワクワクしたり新しい発見やインスピレーションを受け取ることができるものです。このように、全ての瞬間を新鮮に味わうために、日々の単純と思える行動の意図を改めて明確にし、意識的に行動したらどうなっていくでしょうか?
きっと新しい発見や気付きが見付かったり、日々の行動の中に自分の意図とは反した行動がある事にも気付くでしょう。