この地上に溢れている全てのモノに何一つ無駄なモノは無く、いつでも必要なタイミングで私たちの存在を見せてくれています。
もし目の前に美しい花があるとするならば、その「美しさ」は私たちの存在を象徴しています。
もし目の前に「不快」と感じるものがあれば、それも私たちの存在を象徴していると言えます。
それがどんなモノであれ、それは私という存在が体感したり認識したいという衝動の元にあるものです。
どんな感想を持ったり、批判したり、絶賛したり、不安に思ったりしても、それを見せているエッセンスは私という存在の中に始まりの瞬間から終わりの瞬間までいつも「ある」モノです。
日々の生活の中でそのエッセンスに触れることで、私たちの記憶喪失は終わりを迎え、本来の姿が正体を現していく。
どんな状況であったとしても、そのエッセンスを感じることができれば、その状況そのものが完了していきます。
東京からの帰り道「素晴らしい夕日」に出会いました。
これも私の一部ですね。うふふ・・・
> Kuchama
その通りですね。全ての中に自分がいるし、自分の中にも全てがありますね。