私達は一人で生まれ、一人で死んでいく・・・という見方がありますが、私達はどんな時も一人にはなれません。
私達の本質には元々全てのモノ・イベントが含まれています。
この世界では、その全てが、それぞれ「個別」として認識できるようになり、それぞれの個がどのように形・色・音になってきたのかを知ることができます。
だから、「私」「あなた」「動物」「時間」「机」「パソコン」・・・等、様々に個別化してラベルを付けて認識できます。元々、そのように人を人として、モノをモノとして見せている種・源があり、本質は全てを観察・目撃しようとしています。
この意味で、「一人」にはなれないということです。元々全体だからです。全体の中には既に他者の種があります。
様々な事象やモノを個別に見せている種・源は言わば映画のフィルムのようなものですね。全てが用意されている場面をカット毎に映写して日々の生活を写しているようなイメージです。
そして、その全体の姿が映画という作品になる、つまり私達の大きな人生の作品です。その映画には今の人生だけではなく、他の全ての転生も含んだ壮大な人生映画です。
最初から終わりまで映画は完成しています。
もし映画を映している映写機に気付いたら人生はどうなるでしょうか。人生はシンプルであることが分かります。様々な問題と思っている事も問題ではなくなり、他者は他者ではなく全体になります。
生まれる瞬間・死ぬ瞬間の間、呼吸の呼気と吸気の中間点、深い瞑想状態、ワクワクする事を集中している時等に映写機の存在を垣間見る事ができます。