目の前にいる人は本当に他者でしょうか?他人と言えるでしょうか?
自分と他者との境界線はどこにあるのでしょうか?
もし今いる部屋や空間に誰もいなければ、他者がいる事を認識できるでしょうか?
目を瞑ったり、瞑想をしている時はどうでしょうか?その時、他者がいると言えるでしょうか?
私達は成長の過程や文化を通して、他者という概念や時間・空間の共有を学び、それが当たり前のように捉えて生きてきています。それが事実として、当然の事として私達の人生に組み込まれています。
私達が五感や感情を使って認識している世界は実は概念の世界だったりします。
コンピュータの中の世界と同じで、画面に写真が映っていて「これは写真だ」という認識が学習した体験からできますが、それは実際は写真ではなくてコンピュータ言語で書かれた0と1だけの記号の集まりで、
実際に写真がある訳では無いです。
この世界は長年の集合意識によって作り上げられたリアルでありながら、蓋を開ければ抽象的な世界。
あるポイントまで私達はこのリアルな世界で行きながら、様々な事象を構成している要素、つまりはコンピュータプログラム言語の中に入っていきます。
その時、私は私でありながら、海の中の一滴のようで全てが融合した世界にいることに気付き、全ての概念が崩壊するでしょう。
そのためには、私達はいろんな人達と出会いながら生きる必要があります。その体験を通して私達は自分の正体に気付いていきます。