日常生活を送る中で、私達は日々様々な人達と、様々な方法を通して出会っています。家族、会社、お店、レストラン、電車の中、通り道、テレビ、インターネット、夢の中等・・・、いろんな場所で人々と出会います。
今、世界の人口は約70億とも言われています。一生で、出会う人には限りがあり、全ての人々と実際に出会う事はできないでしょう。
そして、出会う人々は、それぞれがユニークな特質を持っていて、誰一人自分と同じ人はいません。みんなオリジナリティを持って暮らしていて、一切の無駄というものはありません。
例え全く知らない人であったとしても、出会っているというのは偶然的に感じられながらも、実は私達の中のある側面を表しています。それを縁と呼べるように想います。
大きな見方をすれば、全ての人々は私達のフィルターを通して創造され、「見たい」と想っている姿で現れています。この意味で、全ての人々は「私」であるとも言えるように感じられてきます。
僕の個人的な体験。僕はばあちゃん子でした。2002年に他界しましたが、その後も何かある時には、枕元に現れてはメッセージやこの世界のシステムを伝えてきてくれます。
様々なシャーマニズムの探求の中で、ある時の意図が「ばあちゃんに出会う」という設定をして、この世界のシステムから意識を「あちら側」へ移動させて、ばあちゃんを探しに行きました。
しかし、驚いたことに「ばあちゃん」という存在はいませんでした。その代わりに「自分」がいました。この瞬間、ばあちゃんは僕の意識が創造した存在であるということに気付きました。
全く時間と空間が無い領域で言葉で表すのが困難ですが、そちらに行くと「個」や「私」という概念がありませんが、強いて言えば、祖母という存在は僕の意識の一部が投影して祖母という存在・概念を見せていたのです。
このフィーリングは、かくれんぼをしていた友人をやっと探した瞬間や、難しい問題の答えを知った答え合わせのような感覚でした。
様々な人間関係で、楽しいこともあれば、辛いことや悲しい事もありますが、結局のところ、このシステムを生きるために、自らの意図で人間関係を構築していると上記の体験から感じました。
自分自身という存在を知るためにも、いろんな人々と交流することが「生きる」キーのように感じています。