16世紀頃の話。今のアラブ地方に住んでいたイザーヤは、母親を助けたいという思いで、苦渋の決断で家から離れてダンス小屋的な店でダンサー兼従業員として働くことに。
小さい頃から、彼女は母親からダンスを教えてもらって以来、好きな事として母親と一緒に楽しんでいました。
そのダンス小屋では奴隷のような扱いをされ、いじめを受けたり、家が貧しいという理由で不当な扱いを受けていました。ほとんど休みもありません。
唯一の救いは、母親とダンスの存在。母親のためであれば、何でもやってやろうという想い。そして、好きなダンスができるという思い。それが彼女を動かしていました。
そんな想いで、彼女は長年の働き続けました。
そんな中、母親が他界してしまいます。それを知った彼女は深い悲しみに陥り、彼女を突き動かしていた気力が失われてしまいます。
それが切欠で、長年の積もりに積もったストレスが彼女に襲い掛かります。
ある夜、彼女は死ぬ決意をして、ダンス小屋をうまくすり抜けて、何も持たず裸足のままとにかく遠くに逃げます。
どこにそんな力が残っているのかという程の力を使い、どこでもいいからという思いで走りに走ります。走っている間、今までの人生を振り返っていたようです。
母親の事や、ダンスの事など、様々な溜め込んでいた想いが浮上してきます。
どれくらい走り続けたかは分かりませんが、真夜中に絶壁の丘に辿り着きます。満月の灯で、ほのかに辺りの景色が見えています。
もう遠くに逃げたので、誰も探しに来ないだろうという思いもあったようです。
ここから思い切って飛び降りてしまおうという想いもありましたが、その前に大好きなダンスを月の灯の元で踊りたいという衝動が生まれます。
どうやら、今まで踊ってきたダンスの中に、月をテーマにしたダンスがあったようで、彼女のお気に入りだったようです。
今の景色は、彼女の中で思い描く、そのダンスの情景そのものでした。
彼女は無心に踊り続けました。自由に大胆に、華麗に踊り続けます。
どれ位踊り続けたかは分かりませんが、彼女はダンスそのものになっているような気持ちになってきました。ダンスとの一体感。周りと融合していくような感覚。
その瞬間、彼女は気付きました。母親への感謝の気持ち、ダンスへの感謝の気持ち。純粋にダンスを楽しむという気持ち。
それは、生命力を取り戻したような、体の動きを本質で理解して、ダンスそのものと一体になる。そんな気持ちでした。
ここで終わりにしたくない。ダンスをもっと踊り、生きていきたいという強い想いです。
それに気付いた彼女は、再び飛び出してしまったダンス小屋へ戻ります。逃げ出した責任を取られ、罰を受けるという体験もあったようですが、再びダンサーとして働き続けます。
しかし、もう彼女にはストレスを味わうということはありませんでした。ダンスそのものになり、心からダンスをエンジョイすることができています。ダンスにキレが入り、今までの動きとはまるで違い、ダンスを心から愛している感じです。
その気持ちが、ダンスを観に来たお客さんにも伝わり、その店のトップの踊り子になります。今まで彼女を見下していた人々も、彼女を認め始め、彼女もいろんなチャンスをくれた周りの全ての存在を認めることができました。
その後、彼女は自分でダンスチームを作ってダンスに専念したり、晩年はティーチャーとして活躍をし続けました。
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この出来事と彼女の反応から気付かされる事は、どんな状況であってもその環境や人々を裁いたり、自分を責めたりせず、ただ今行っている事を純粋に集中することで、その中にある自分の本質を知ることができるということです。
どんな環境であれ、必ずそこには自分のビジョンのエッセンスが入っているものです。彼女は当初は自分の境遇を哀れんだりしていましたが、本質にある「ダンスが好きだ」という気持ちに気付き、集中したことでそれを思い出したのでしょう。
走り続けるという体を動かしながら、過去の体験をリリースしつつ、ダンスをただ踊り続けるという体験をしたことでも心にあった葛藤をリリースしたのかもしれませんね。
いずれにせよ、ダンスと一体になりダンスそのものになる体験というのが、彼女を自由にし、周りの環境を誰かに作ってもらうのではなくて、自らの意図・ビジョンで展開させていくという点もポイントだと感じます。
この話の彼女のように、今何か迷っていたり自分自身を哀れんでしまったり、責めてしまったりしてしまう時こそ、ずっと心の中でやりたかったことや、好きで続けていることをただ集中してやり続けることで、自分のビジョンを明確にすることに繋がるように感じます。
今年初の新月も終わり、また新しいエネルギーを感じます。
今回のお話。何故か涙が溢れだしました。
かこさん、
コメントありがとうございます。
流れに乗って楽しんでいきましょうね。