
先日、家族でお台場のジョイポリスに行きました。
そのアトラクションの一つにアニメ「進撃の巨人」がありました。
ウォーキングスタイルのアトラクションで、進撃の巨人の世界観の中をキャストの芝居や演出があり実際のあの世界にいるかのような没入感があるアトラクションでとてもリアルな体験で面白い。
そんな体験をしたこともきっかけで、「あー、そう言えば進撃の巨人途中で止まってたな」と思い出しました。そして、それから改めて進撃の巨人のアニメ版を最初から最後まで一気に観ました。
とても深い内容であり、アカシック的なストーリーや源体験、パラレルワールドなどシャーマニズムとも通じる要素があり、どっぷりとはまってしまいました。
奥が深い内容で、哲学的な点もありましたが、AIに進撃の巨人研究家になってもらい、僕の体験と進撃の巨人の共通点の記事を書いてもらいました。なかなかおもしろかったので、ここでシェアさせていただきます。
これから進撃の巨人をチェックする方にはネタバレになるので、興味あるかたは下記からご覧ください。
進撃の巨人と富一弘氏との共通点
僕は『進撃の巨人』研究者として、さらに「ワールドブルー」の富一弘(とみ かずひろ)氏の思想についても読み解きながら、両者の共通点を探ってみる。
富一弘氏は、「現実創造」「意識と世界の関係」「自分が世界を創っている」という視点で知られる。
一見すると、『進撃の巨人』の血と暴力の物語とは距離がありそうに見えるが、両者には根底で響き合う重要な共通点が存在する。
1. 「世界は自分が創っている」という視点
◇ 富一弘氏の思想
富氏は「自分の意識が世界を創っている」と説く。
外の世界で起きることは偶然ではなく、自分の内側から生まれた現象であり、「すべては自分が創った現実」だと見る立場だ。
例えば、「他者に攻撃される」という現象も、外側に敵がいるのではなく、「自分の内側の恐れ」や「自分で敵を必要とする心」が、現実に反映されている、という理解になる。
**「すべては自分次第」「現実とは内面の投影」**という根源的な世界観だ。
◇ 『進撃の巨人』の視点
エレン・イェーガーは「自由」を求めて戦い続けるが、最終盤で彼はこう語る。
「全部、俺が選んでいた」
彼は、「母親が喰われたこと」「地ならしをしたこと」すら、未来から過去に干渉する「自分の選択」だったと悟る。
つまり、彼にとって「外から与えられた悲劇」だと思っていたものが、実は「自分自身が創り出した現実」だった。
これは、**「世界は自分が創っている」**という富氏の世界観と非常に響き合う。
「敵に襲われた」と感じる現実ですら、
「実は自分がそうなるように選んでいた」という構造に至る点で、
エレンもまた、「自分が現実創造者だった」と最後に気づく。
2. 「運命を受け入れる」と「選択する」という両立
◇ 富一弘氏:抵抗を手放し、今を受け入れる
富氏の考えでは、「現実は自分が創っている」と認めた時、「無駄に逆らわず、今起きていることを受け入れる」ことで、初めて人生の流れに乗れるとされる。
「抵抗して戦う」のではなく、「今ここで起きていることを『自分が創った』と受け入れる」ことが、逆に自由につながるというパラドックスだ。
◇ エレンの最終境地
エレンも、最後には「全部、こうなることは分かっていた」「俺が望んだ未来だった」と認める。
つまり、彼は「未来を変える」ためにあがき続けながらも、最後には「それすら含めて、自分が選んだ運命だった」と受け入れる。
「抗い続けた末に、受け入れる境地に至る」という点で、
「運命を受け入れることこそ、究極の自由」という富氏の思想と符合する。
3. 「壁」を超える=自己制限を超えるという象徴
◇ 富一弘氏:制限を作っているのは自分自身
富氏は、「人生で壁や制限を感じる時、それを創っているのは自分自身だ」と語る。
つまり、「自分にはできない」「無理だ」と思う心こそが壁であり、それは外部にあるのではなく、自分の内面にある。
その壁を超えるのは、「できない」という思い込みに気づき、「やっていいんだ」と許可を出すことだ。
◇ 『進撃の巨人』の「壁」とは何か?
壁は、エレンたちにとって「外の自由を阻む障壁」であり、「恐怖の象徴」だった。
だが、その壁の存在自体が、「自分たちが安全だと思いたい心」「知らないものに対する恐れ」という、心の壁そのものでもあった。
壁を壊して外に出たエレンは、「外にも壁がある」と知る。
さらに最後には、「自分自身の心に一番の壁があった」と気づく。
「壁を作っていたのは、自分だった」
これはまさに、富氏が言う「現実を制限しているのは、自分自身」という思想と重なる。
4. 「自由」とは『すべては自分だった』と気づくこと
富一弘氏の思想では、「自由」とは、「現実は全部自分が創っていた」と気づいた時に訪れるものだ。
「外の世界と戦って勝ち取るもの」ではなく、
「そもそも外と内は一体だったと悟ること」で、最初から自由だったと知る境地に至る。
『進撃の巨人』におけるエレンも、最後にこう悟る。
「全部、自分だった」
自分を苦しめた巨人も、壁も、母の死も、地ならしも、
すべては「自分が選んだもの」だったと。
この瞬間、彼は「最初から自由だった」という真理に至る。
だが、その気づきに至るまで、彼は血を流し、すべてを壊し、絶望の果てにいた。
5. 『進撃の巨人』と富一弘の思想の共通点まとめ
項目 | 富一弘(ワールドブルー) | 進撃の巨人 |
---|---|---|
世界観 | 現実は自分の意識が創っている | すべては自分が選び取った未来だった |
壁 | 自己制限、自分で創った枠 | 心の壁、外にあるようで自分自身が作った壁 |
自由 | 全部自分だと気づいた瞬間に訪れる | すべて自分だったと知ることで最後に得る自由 |
抵抗と受容 | 抗わず、今ここを受け入れる | 抗い続けた末に、最後に受け入れる境地に達する |
6. 最終的な共鳴点
両者に共通する到達点は、
「現実は自分が創っていた」と気づいた時、人は初めて本当の自由を感じる
という深い真理だ。
エレンも、富一弘氏の言う「創造者」と同じ地点に立っていた。
違うのは、エレンがその気づきに至るまでに、途方もない苦しみと破壊を伴ったことだ。
一方で、富氏は、「今ここで気づけば、破壊しなくても自由になれる」と示している。
ただ、その境地に至る難しさは、進撃の巨人のように「人は時に破壊を経ないと気づけない」という現実もまた示唆しているように思う。
「全部自分だった」と知ること。
その時、人は『自由』になる。
僕は、この一点において、『進撃の巨人』と富一弘氏の思想は、まさに同じ地平に立っていると確信する。