今までの個人的なシャーマニズムの探求で体験してきた臨死体験の視点から捉えると、死後の世界は存在するとも言えますし、存在しないとも言えます。
そもそも、「世界」の定義は、物質世界であり「私」という自覚があって、他者や時空があって、いわゆる肉体の存在していて何らかの活動が行えるような場所というような意味になると思います。
さて、死後の世界が存在するとも言えるし、存在しないとも言えると書きましたが、それは世界があるケースと、世界が無いケース、どちらも体験することができます。それは、意図や選択によりますし、意識が拡大するレベルにもよります。
死後の世界に体験できる世界は、生前の想い、選択、本質の衝動など様々な要因により、体験する世界は異なりますが、全ての世界は平行に同時存在しているパラレルワールドです。
例えば、宗教的な教義や戒律を意図があれば、教義の中で描かれている天国や地獄、極楽などの世界の中に入ることができます。
また、パラレルワールド(平行世界)として存在している様々な世界を体験することができますし、知性では理解が不能な様々な世界の中に入ることもできます。
今体験している物質的世界も、蓋を開ければ、パラレルワールドの一側面です。
なので、再び、同じ自分を体験したりなんてこともあり得ます。
死後の世界が体験できないケースとしては、「私」という意識を認識させているエゴ(自我意識)が意識の領域が崩壊していく状態になり、一切の主観と目的という二元性と呼ばれる枠から離れた領域に入っている意識領域です。
この領域に入ると、「私」という主観がもはや存在できないので、時空を観察したり、「何かを」というような目的が存在できない状態になります。
世界が消えていくプロセスで、色、形、模様、音というような抽象的でありシンプルな概念しか存在しなくなり、やがてあらゆる森羅万象と融合していきます。
「私」が一粒の水滴とするならば、大海の中にダイブしたようなイメージです。
あらゆるもの、森羅万象と完全に融合するので、もはや「世界」というような概念が無い状態です。
死後の世界は多種多様に存在もしているし、その逆に何も存在していないとも言えます。
死後の世界と表現する際、それは多種多様に存在し、更に同時に存在するパラレルワールドと言えます。
更に、そのパラレルワールドは、今の現実さえも含まれています。
臨死体験から捉えると、今体験している時空も大きな視点から捉えるとイリュージョンであり、バーチャルリアリティのようで、本質からの衝動によって動かされているし、動かしてもいます。
いずれにしても、今この世界を認識しているということは、本質からのメッセージで、体験するため、生きるために存在している貴重な世界。
今の世界を生きて、世界を味わっていく事が、この世界を生きる意図と言えます。