目的や理由の無い意図を持つ
意図とはリハーサルしたり、理由を付けたりすることではありません。リハーサルとは、自分の時間に制限を与えることに繋がります。例えば、「○をして、●をしてから、☆を手に入れる」というように、何かを手に入れるための道筋を描いているケースです。これだと、欲しいものを手に入れることに対して、焦ったり、時間が掛かったり、なかなか現実化が起こらず傷ついたりします。 理由とは、「悲しみを手放すために、☆がほしい」とか「あの人に認められたいから、☆を手にする」というように、自分の望みに意味や目的を付けることです。大人になると、様々なものに意味を求めます。これは、何かが不足していたり不満があったりして、それを補うためにする行為の傾向ですが、このような意図をすると、不足や不満が現実化してきます。結果的に何も変わりません。今の現実が継続するだけです。 幼少期の頃のような純粋な意図が現実化の早道です。つまり、意図に意味や目的が入らない、純粋な意図です。強いて意味を付けるとすれば、「ただ楽しそうだから」「わくわくするから」という、心の底から湧き上がるパッションや好奇心に任せた意図です。そこには計算や駆け引きなどが存在せず、純粋に「□がほしい」という宣言です。このような意図を持って、自然に任せて今の瞬間を味わっていれば、どんなことが起こったとしても、行き着く場所に到着できます。純粋な意図のエネルギーは、直接結果に流れていきます。