今日は少々ややこしい話。個人的なシャーマニズムの体験を言葉に表してみたいと思います。
この世界のシステムは金太郎飴のようです。金太郎飴を輪切りにすると様々な顔が現れます。実際の金太郎飴は顔が似ていますが、微妙に異なっています。金太郎飴の一粒一粒が、ひとつの世界のシステムを表します。顔一つ一つに個と知性があり、その視点で世界を創造しています。その一粒が目の前に展開している世界です。しかも、このたった一粒の中には、森羅万象、全ての概念が含まれています。私、机、パソコン、色、感情、五感、家族、社会、会社、水、食べ物、お金、アート、音楽、映画、芝居、他者・・・等々全ての概念、そしてスピリチュアルな話で出てくる転生さえも、この一粒の中の概念に過ぎません。では、別の金太郎飴はどうなっているか?そこは今の知性を越えた世界です。今の知性はたった一粒の金太郎飴の中だけで理解するものであり、そのほかの金太郎飴が見ている世界は知性を超えた世界です。あえて概念を使って例えるなら、他の金太郎飴の世界では、あなたは人間ではなくて、水の一滴かもしれませんし、昔の友達が大切にしていた靴かもしれませんし、機械の歯車の一部かもしれません。
今度は金太郎飴全体を見てみます。輪切りにしない状態で考えると金太郎飴全体を構成しているそもそもの「飴」という物質。その世界は「金太郎」というラベルが無く、単に「飴」という状態。この全体としての飴も世界のシステムです。飴全体から金太郎達が創造されていますが、一粒一粒の金太郎飴には全体が含まれています。全は個であり、個は全。
この点は映画マトリックスでも描かれています。設計者という存在が現れ、その領域ではたくさんのモニターがある場面がありますが、モニターに現れている世界が金太郎飴であり、設計者の領域が飴全体の世界。さらに、金太郎飴を金太郎飴として認識させているプログラムを創造しているのが、預言者という存在。
プログラムの世界で言えば、関数や変数などがある世界が金太郎飴の世界で、そもそものプログラム自体が飴全体の世界。プログラムの全体から個が生まれていき、様々な機能が表現されています。個性もそのひとつ。
金太郎として世界を見るのか、飴全体として世界を見るのか?映画マトリックスの主人公NEOは最終的にこの両者に気付き完全に自由になり目覚め、最終的にゴールドの世界(源)に統合されていきます。その時のキーワードは「選択(CHOICE)」でした。
どう生きるか?
生きること自体が選択であり答え。
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シャーマニズムに基づき、約半年で準備を行い海外にてシャーマニックリチュアルを体験し、森羅万象が始まる瞬間である「創造の源」や多次元的な世界を体感し完全に腑に落とし自己覚醒のためのクイックプログラム「アウェイクニングプログラム」。本当の自分の正体を知りたい方、この世界の仕組みを腑に落としたい方、そろそろ能力の人生から「どう生きるか?」の人生にしたい方、自分探しの旅をそろそろ止めて本当の人生を生きたい方のご参加お待ちしています。期間:10セクション(8ヶ月~9か月):
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