現実的にこの世界で生きていくためには様々な概念に属していきていく必要性があるポイントまであります。概念とは、様々な人々とのコミュニケーション上必要なもの。コミュニケーションを通して私たちは自分を知っていくプロセスを歩んでいるとすれば、概念は必要です。もし概念が無ければ、他者との交流がとても難しくなりますね。概念は意味や価値と言ってもいいでしょう。共通の意味や価値を共有することで、社会は成り立ちます。グループや団体、社会、文化などの集合的なものに属することも概念を共有する意味があります。ちなみに、このブログで使う言葉や僕自身の考え方や体験も皆さんにとっては概念の一つですね。
概念によって欲しいものから遠ざかってしまう
しかし、この概念には厄介な面もあります。概念をもっと別の言葉で言えば、制限、縛り、正しさ、絶対、というような言葉にもなり得ます。。
つまり、「こうじゃなければならない」「これが絶対に正しい」・・・というような想いが作られ、自分自身の世界に制限を掛けてしまいます。そこから、葛藤や抑圧、危機的な状況が生まれ、ほしいものが手に入らなかったり、なりたい自分になれない状態になります。また、「私が正しくて、あの人が間違っている」というような他者との比較も生まれますし、自分の概念という価値を他者に無理やり押し付けてしまうようなコントロールが起こったり、自分のオリジナルの輝きを発揮することの邪魔になるのも概念です。
このように概念は自分を知るためにもありますし、その逆に自分を遠ざけていくためにも作用し、少々複雑。
世界が複雑さからシンプルになるために
最終的には全ての概念からリリースされて、「何も無い」という瞬間へと道は通じています。「何も無い」とは外側の概念が全てなくて、何でも作り出せる状態です。言い方を変えれば「何も無いけど、全てある」という状態。般若心経の「色即是空、空即是色」的な世界感です。他者の評価を期待したり、自分の証拠を外側に投影する必要が全く無い状態で、逆に言えば、自分そのものがオリジナルの存在として世界を創造しているような、そんな存在に誰もがなっていきます。そのためには、様々な概念というフィルターに飲み込まれずに自分らしく活用し、創造力・クリエイティビティを発揮していく必要性があります。
この世界には絶対というものはありません。自分がどこに価値を置くかが概念を導きます。もし今属しているグループが自分のオリジナリティの価値と合わなかったり、拡大せずに収縮するフィーリングがあったりすれば、それは概念に飲み込まれてしまっている可能性があります。世の中の社会的な概念・価値は時代とともに変化していきます。無常な世界ですね。概念から自由になっていくと、世界はシンプルになっていきます。もちろん、いきなり全ての概念から解き放たれるのは社会にいる以上難しいかもしれませんが、日常の中で創造力を発揮し、「自分の力で自分を認めること」ができれば、自然と世界はシンプルになっていることに気付くでしょう。その時、あなたは多次元的に、どこにも属さずに存在している者となっています。