他者に対して、明晰性やその人がその人らしくいるために自然に祈りを捧げることは、自分自身の中にも同様に、現実化や「なりたい自分になる」という道が加速的にやってくることになります。有名な話で、あのプロゴルファーのタイガーウッズが例えライバルであっても負けていても相手のボールがカップに入ることを祈っている、というのが分かりやすい例かと思います。
逆に相手との合意なしに直接的に介入して他者に対して代わりにやってあげたり、相手の意思に反してよかれと思って何か手助けをしたりすると自己否定を高めることにも繋がります。全ての人が、オリジナルのプロセスを歩んでいます。自分で自分を知るためには、誰かにしてもらうのではなくて、自分自身でしなければなりません。そのため に、様々なプログラムをこの世界で体験していきます。その人生の道を他者が介入してしまったり、逆に介入を許してしまうと、相手を依存させてしまったり、傷付けたり、邪魔になったり、 自分の人生を他者に委ねてしまい、結果的に自分を知るのに長い時間が掛かることになります。
相手のタイムラインに介入をしたいという想いがあるということは、自分の中に何か満たされていない想いや自己憐憫があったり、「私はこんなにすごいんだ、特別なんだ」というような自己重要性や傲慢さの表れと言えます。これは、外側に自分のパワーや自己価値の証を求めるパターンで、この状態のままでいると自分を認める事ができないループに入り、外側に対して要求が増えキリがありません。
結局、最終的には誰もが自分自身を知ることができるし、なりたい自分になれます。日々の体験は、そのための通過点。まずは自分自身を意識的に生きることがキーです。五感・感情を大切にして。他者のプロセスはその人に任せましょう。もし、相手がヘルプやサポートを求めてきたら、出来る範囲で相手のサポートをすればOKです。同意が無い状態で、相手を助けたくなったら、その想いがどこから来ているのかをまずは確認。その結果、サポートをココロからしたいと思ったら、まずは相手とコミュニケーションをして「今私はあなたに対して何ができますか?」とか「あなたのために○○しましょうか?」というように聞く事です。それでも、相手は「特にありません」「必要ありません」と言ったら、直接的にできることは何もありません。できることは、相手を認めて「どんな事が起こるか分からないけど、結果的にその人はその人らしくいられますように」というような全体性や健やかさへの祈りです。祈りは本当にパワフルな瞑想であり、エネルギーであり、自己承認です。