「あの時こうしていれば・・・」
「もし〇〇だったら・・・」
というような後悔や想い。
時間と空間が存在しているこの現実ではエゴ(自我意識)による比較や葛藤、感情の抑圧等によって引き起こされます。
全ての葛藤は過去に基づいています。
過去の体験が失敗や恐れという概念を引き起こした時、また過去の期待が未来的にズレてしまった時、後悔はやってきます。
しかし、本質的な視点では、後悔は存在できません。
本質の視点は衝動で、言葉にすれば「『私』を体験をする」という主観を持った体験をすることであって、そこには失敗や成功という概念も無く、単に体験をするということです。
例えば、山頂を目指して登山をしていて、山道で様々な景色を味わっているようなものです。
確かに、現実的なエゴがある世界では、傷付いてしまったり、不快な体験などありますが、それさえも景色であって、本質的には一つの体験です。
そのため、本質的には後悔という過去という時間を伴う体験はできません。
全てのピースとピースは完成していて、そこから今の現実が創造されているため、全てはなるようになっています。
現実的には、同じような体験を何度も何度もすることもありますし、一度だけの体験もあります。
それは全て個人的な意図の選択の結果です。
同じような体験を何度もしようが、一度だけであろうが、本質的には「体験した」というデータですし、
早く体験しようが、遅く体験しようが、それも全く関係なく「体験」です。
人生は競争では無く、生き方です。
どのように生きるか?どのように生きたいのか?
そのための意図ができれば、それもなるようになっている意図であって、結果としてナチュラルに現実化しますし、今もしています。