自分の本質に気付く体験、別の言葉で言えば、悟りや覚醒と呼ばれる境地を体験すると、それでスーパーマンのような完璧な人間が完成する訳ではありません。
その状態はとても不安定であり、その後に罠にはまってしまう可能性があります。
その罠とは、自己重要性と自己憐憫という罠です。
自己重要性とは、傲慢になり、他者をコントロールしてしまう事です。
例えば、「なんであなたはそんな面倒な事をしているのか?私が助けてあげましょう」というような大きなお世話や押し付けなどです。
本質を知ると、この世界の全ての仕組みや自分の真の姿が分かるのですが、それが外側に向かうと、傲慢やコントロールという形で他者に向かってしまいます。
自己憐憫とは、自分を哀れに感じてしまい虚しさや絶望を味わってしまう事です。
例えば、「本質は素晴らしいのに、どうして現実は惨めなんだ」というような比較やギャップです。
本質の世界には葛藤や抑圧が一切ないのですが、この現実の時空には体があり、エゴ(自我意識)があるため、エゴが抵抗することで自己憐憫の罠にはまることがあります。
自己重要性と自己憐憫は表裏一体で、両者とも自分の内側ではなく、外側(社会や他者)に向かうとそうなります。
本質的には内側も外側もありませんが、この物質的な世界では、自分自身の内側と、自分以外の外側というような区別があるため、様々な葛藤が起こります。
本質を知ったら、外側に意識を向ける前に、自分の内側(創造力、表現力、個性、情熱など)にフォーカスしていくことが大切です。
その視点を保ちながら、世界や他者、社会と向き合っていく事で、余計な罠にはまらず、穏やかに人生が動いていくものです。
登山で例えれば、頂上の景色を知りながら、途中の景色も堪能しているような感じです。