様々な概念で構成されている世界。
どの道を、どんな環境や条件を選択しても「私」の本質へと繋がっていけます。
もっと言えば、「本質」のゲートまではどんな道も繋がっています。
しかし、その道を他者へ強制的には選択させることができないし、それをやってしまう事は本質の道から外れていく事にもなってしまいます。
相手の道に勝手に介入してしまうことは、その時点で他者のタイムラインを生きていく事に繋がってしまい、それは本来の自分の道では無いんですね。
もちろん、それも一つの選択なんですが、登山で例えれば、遭難してしまったり、高山病になってしい先に進めなくなるようなイメージです。
先程も書いたように、どんな道も「本質」「源」のゲートまでは繋がっています。
そのゲートの先には既存の道は存在していません。
あるのは、自らの意志・意図である種「創り出される」道のみです。
ここが難しいところだけども、映画「マトリックス」の主人公ネオのように、
自ら選択した道さえも手放すという「選択」をすることで、全ての道を創造していたプログラムの本体=本質=源へと回帰していきます。
本当の自分に目覚める瞬間。
最終的にゲートから源への道はオリジナルなアプローチとなります。
とにかく今を自分らしく生きることが、この世界のゲームのゴールであり、またスタートでもあるポイントへの回帰へと繋がっていきます。